深海生物図鑑

海山・海嶺・海溝で生き物はどう変わるのか

海底は、どこまでも平らな暗黒の平原ではない。海の底にも山があり、長大な山脈があり、地球の内部へ切れ込むような谷がある。海山、海嶺、海溝――こうした地形の違いは、単に景観を変えるだけではない。流れる水、降ってくる餌、岩石の種類、地殻から供給される化学物質まで変え、そこに暮らす生物の顔ぶれにも影響する。

ただし、「海山にはこの生物、海溝にはこの生物」と単純に分けられるわけではない。深さ、水温、酸素量、海流、海底の材質、地域ごとの歴史など、多くの条件が重なって生態系ができている。深海底地形は、その複雑な環境を読み解く重要な手掛かりの一つなのである。

海底の「山・山脈・谷」は何が違うのか

海山は、周囲の海底から大きく盛り上がった海底の山である。その頂上が海面まで達すれば島になるが、多くは水中に隠れたままだ。火山活動によって形成されたものが多く、斜面には堆積物だけでなく、露出した岩盤も見られる。

海嶺は、海底に延びる巨大な山脈状の地形で、とくに中央海嶺ではプレートが左右へ広がり、新しい海洋地殻がつくられている。火山活動や断層活動が盛んな場所があり、条件がそろえば熱水噴出域も形成される。

一方、海溝はプレートが別のプレートの下へ沈み込む場所などにできる細長い深い凹地である。世界でもっとも深い海域はこうした海溝の内部にあり、水深6000メートルを超える領域は一般に「超深海帯」あるいはハダル帯と呼ばれる。

この三つは形だけでなく、生物にとって利用できる環境の種類そのものが異なる。

海山では「流れ」と「足場」が変わる

深海の広い範囲では、海底に細かな泥や有機物が積もっている。しかし海山の斜面や頂上付近では、岩盤が露出している場所も少なくない。

この硬い海底は、サンゴ類や海綿動物など、体を固定して暮らす生物にとって重要な足場になる。泥の上では定着しにくい生物でも、岩があれば付着できるためだ。そこへ流れてくる微小な生物や有機粒子を捕らえることで生活するものもいる。

さらに海山そのものが海流を遮るため、周囲には複雑な流れが生じることがある。場所によっては湧昇や渦が生じ、粒子やプランクトンの分布が変化する可能性もある。

そのため海山では、周囲の平坦な深海底とは異なる生物群集が形成される場合がある。

ただし、「海山なら必ず生物が豊富になる」とまでは言えない。海山の高さ、頂上の深さ、海流の強さ、岩盤と堆積物の割合、表層から供給される有機物の量などによって状況は大きく変わる。かつて海山は一律に「深海のオアシス」のように表現されることもあったが、実際には海山ごとの差が大きいことが分かってきている。

海嶺では地球内部のエネルギーが表面へ出てくる

海嶺の中でも、とりわけ印象的なのが熱水噴出域である。

海底の割れ目から海水が地殻内部へ入り込み、熱せられた後、岩石との反応で化学成分を変えながら再び海底へ噴き出す。こうした熱水には硫化水素などの化学物質が含まれる場合がある。

太陽光の届かない深海で、この化学物質をエネルギー源として利用する微生物がいる。化学合成を行う微生物が有機物をつくり、それを直接あるいは間接的に利用する動物が集まることで、周囲の一般的な深海底とは異なる生態系が成立する。

これは、深海の生物がすべて海面近くでつくられた有機物だけに依存しているわけではないことを示す代表的な例である。

ただし、海嶺の全域に熱水噴出孔が並んでいるわけではない。活動している場所は限られ、噴出が弱まったり止まったりすることもある。熱水生態系は豊かに見える一方、地質活動によって環境そのものが変化する、不安定な世界でもある。

海溝では「深さ」だけでなく地形そのものが効いてくる

海溝を特徴づける第一の条件は、もちろん極端な水深である。

水深が増えるほど水圧は高くなり、温度は低く安定する傾向がある。こうした環境では、細胞膜やタンパク質などを高圧下で機能させる能力が生存に関係する。

しかし海溝の環境を考えるとき、水圧だけを見ていては不十分だ。

海溝は巨大な谷のような形をしているため、斜面を下ってきた堆積物や有機物が深部へ集まることがある。地震や斜面崩壊などによって大量の堆積物が移動する可能性もある。このため、非常に深い場所だからといって必ずしも餌が極端に少ないとは限らない。

実際、超深海帯からは端脚類などの甲殻類、ナマコ類、多毛類、微生物、魚類などが確認されている。魚類については生息できる深さに限界があると考えられており、最深部では無脊椎動物や微生物がより重要な構成員になる。

とはいえ、海溝のどの場所にどれだけ有機物が集まるかは一定ではない。海溝の形、周囲の生物生産、海流、堆積物の移動などによって変化するため、「深いほど餌が集まる」という単純な法則では説明できない。

同じ深さでも地形が違えば生態系は変わりうる

深海生物の分布を考えるとき、深さは非常に重要である。しかし、同じ水深なら同じ環境になるわけではない。

たとえば、同じ3000メートル付近でも、平坦な泥底、海山の岩礁斜面、海嶺の火山岩地帯では利用できる場所がまったく違う。

泥底では堆積物の中に潜る生物や、表面の有機物を食べる生物が暮らしやすい。一方、岩盤では海綿やサンゴなど付着性の生物が定着できる。熱水や冷湧水のように化学物質が供給される場所では、さらに別の生態系が成立する可能性がある。

つまり、生物から見れば地形とは単なる「高さや深さ」ではない。

流れを変え、餌を運び、足場をつくり、場所によっては地球内部からエネルギーを供給する装置でもある。

海底地形は生物を隔離することもある

地形には、生物を集めるだけでなく、集団同士を分断する働きもある。

海山は広い深海平原の中に点々と存在するため、岩盤を必要とする生物にとっては、離れた「島」のような環境になることがある。幼生が海流に乗って別の海山まで移動できる種もあれば、移動範囲が限られる種もいると考えられる。

海溝も同様である。超深海という特殊な環境が地理的に分断されているため、海溝ごとに生物相が異なる例が知られている。

ただし、どの程度隔離されれば別々の集団になるのかは種によって違う。深海では繁殖や幼生分散を直接観察することが難しく、遺伝情報から集団間のつながりを推定する研究も重要になる。

私たちはどうやって深海底の違いを調べるのか

深海底の生態系を理解するには、まず地形を知らなければならない。

調査船から音波を送り、反射を測定するマルチビーム測深によって、海底の起伏を広い範囲で地図化できる。そこで特徴的な地形を見つけた後、有人潜水船、無人探査機、AUVなどを使って海底を詳しく観察する。

映像から生物の種類や密度を調べるだけでなく、泥、岩石、海水、生物そのものを採取することもある。海底に観測装置を設置すれば、水温や流れ、化学成分などの変化を継続的に測定できる。

こうした情報を組み合わせて初めて、「この生物がここにいるのは深さのためなのか、地形のためなのか、それとも餌や海流のためなのか」を検討できる。

この区別は簡単ではない。海山の頂上は周囲より浅く、海溝底は周囲より深いため、地形と水深の効果が同時に変化してしまうからである。

分かっている地形より、調べられていない地形のほうが多い

現代の探査技術によって、深海底の姿は以前よりはるかに詳しく見えるようになった。それでも、生物を識別できるほどの解像度で直接観察された海底は限られている。

地図上に海山が存在すると分かっていても、その斜面のどこにどの生物がいるのかまでは分からない場所が多い。海溝でも、数回の着底調査だけでは季節変化や長期変動を判断できない。

さらに、深海生物の多くは採集例が少なく、生息範囲そのものが十分に分かっていない。ある生物が特定の海山や海溝でしか発見されていなくても、本当にそこだけに生息しているのか、それとも他の場所をまだ調査していないだけなのかは慎重に区別する必要がある。

海底地形を見ると、深海は一つの世界ではなくなる

海面から見れば、深海は巨大な一つの暗い世界に思える。

しかし海底まで降りれば、その印象は変わる。

海山では流れが岩肌を横切り、海嶺では地殻の活動が化学物質を供給し、海溝では斜面のはるか下に超高圧の環境が続いている。その間には広大な深海平原も広がる。

それぞれの地形が、生物に異なる条件を与えている。

どこまでが地形の効果で、どこからが水深や海流、食物供給の効果なのか。まだ切り分けられていない部分は多い。それでも一つ確かなのは、深海生物を理解するには「何メートルの深さにいるか」だけでは足りないということだ。

その生物が、海底のどんな場所に立ち、何が流れてきて、どこへつながっているのか。

深海の地図は、生物の分布図でもある。海底の山と谷をたどることは、暗闇の中で生命がどのように居場所をつくってきたのかを読み解くことにつながっている。