深海の闇で、生き物が放つ光の多くは青から青緑色に見える。そんな世界で、あえて赤い光を放つ魚がいる。
赤は海水中で遠くまで届きにくく、深海ではありふれた光ではない。それにもかかわらず、一部のワニトカゲギス科の魚は赤色から遠赤色に及ぶ生物発光を利用している。しかも、自分自身はその光を見る能力まで備えている。
これは単に「珍しい色に光る」という話ではない。深海という特殊な光環境の中に、他の動物とは異なる視覚の世界をつくり出した可能性がある。
深海の生物発光が青い理由
海の中では、光の色によって届きやすさが違う。長い波長をもつ赤い光は海水に吸収されやすく、青色付近の光は比較的遠くまで伝わる。
そのため、海面から差し込む太陽光も深くなるにつれて青色成分が中心になる。また、深海で知られている生物発光の多くも青から青緑色の範囲に集中している。深海魚の視覚色素も、この光環境に対応して短い波長に高い感度をもつものが多い。
言い換えれば、一般的な深海生物にとって「見るべき光」は主として青系統なのである。
その世界では、赤い体色をした生物でさえ赤く見えるとは限らない。照らす赤色光そのものがほとんど存在しなければ、赤い色素は反射する光を失い、暗く見えるからだ。
こうした環境を考えると、赤い生物発光はむしろ不利に思える。遠くへ届かない光をつくっても、広い範囲を照らすには向いていない。
ところが、その「届きにくさ」が別の意味をもつ可能性がある。
赤い発光を使う深海魚
赤色から遠赤色の生物発光で特に知られているのが、ワニトカゲギス科の一部である。研究では、**Malacosteus、Aristostomias、Pachystomias**の仲間が、通常の青系統の発光に加えて長波長の光を放ち、それを見る能力ももつことが示されている。
代表的なのが *Malacosteus niger* である。
この魚には頭部に複数の発光器があり、そのうち眼の下にある発光器から非常に長い波長の光を放つ。発光器そのものの構造だけでなく、内部の発光と色素によるフィルター作用が最終的な光のスペクトルを変えることも調べられてきた。
ここで重要なのは、「赤く光る魚がいる」ことよりも、**その赤い光に対応した視覚まで進化している**ことだ。
光を出せても自分で見えなければ、照明として使う意味は小さい。赤い光と赤を見る眼が組み合わさることで、初めて特殊な視覚システムになる。
多くの生物には見えない「秘密のライト」なのか
赤い発光についてよく語られる仮説が、「他の深海生物には見えにくい照明」として利用しているというものだ。
一般的な深海魚の視覚は青い光に適しており、長波長側への感度は低い。対して赤色発光をもつ一部のワニトカゲギス類は、長波長の光にも感度をもつ。研究者はこの組み合わせから、獲物に気づかれにくいまま周囲を照らせる可能性を指摘している。
人間にたとえるなら、自分だけが見える懐中電灯を使っているようなものだ。
ただし、この表現は便利である一方、注意も必要である。
「赤い光を使って獲物を照らし、相手に見つからず狩っている」という一連の行動が、自然状態の深海で詳細に観察されているわけではない。深海魚の行動を発光と視覚まで含めて追跡することは難しい。
したがって、赤い発光が狩りのための「秘密のサーチライト」であるという説明は、発光スペクトル、眼の感度、深海の光環境などを組み合わせた有力な機能仮説と考えるのが適切だ。
同種間の信号など、狩り以外の役割を兼ねている可能性も提案されているが、その使い分けについては分かっていない部分が多い。
赤い光を「見る」ための驚くべき仕組み
赤色発光を利用するなら、最大の問題はどうやってその光を見るかである。
*Aristostomias* や *Pachystomias* では、一般的な深海魚より長波長側に感度をもつ視覚色素が確認されている。つまり、眼そのものの受光システムを長い波長へ適応させる方向が進んでいる。
ところが *Malacosteus niger* はさらに特殊である。
この魚の網膜では、通常の視覚色素だけでは説明できない長波長への感度を補助する**光増感物質**が利用されている。その物質はクロロフィル類に由来する化合物で、後の研究ではバクテリオクロロフィル由来の物質であることが詳しく調べられた。
植物が光合成に使うクロロフィルそのものを魚が眼で使っている、という単純な話ではない。クロロフィルに由来する化合物を視覚の補助に利用しているのである。
しかも、この物質を魚自身が一から合成しているとは考えにくい。
眼の能力を「食べ物」から手に入れる可能性
*Malacosteus niger* の光増感物質については、食物に由来する可能性が研究されてきた。
初期の研究では、この魚が食べるカイアシ類などに含まれる物質との類似性から、餌を通じてクロロフィル由来物質を取り込んでいる可能性が示された。その後の研究でも、光増感物質の起源について食物連鎖を通じた獲得を支持する結果が報告されている。
もしそうであれば、非常に興味深い適応である。
「何を見ることができるか」という感覚能力の一部が、遺伝的に決まった眼の構造だけではなく、食物から得た分子にも依存することになるからだ。
ただし、自然界でその物質がどの生物からどの経路を通って魚の網膜へ蓄積されるのかについて、食物網全体が完全に解明されているわけではない。
深海の視覚は、眼だけを調べれば終わる問題ではないのである。
赤い発光は万能ではない
赤い光に特別な利点があるなら、なぜ多くの深海魚が同じ仕組みを使わないのだろうか。
一つの理由として考えられるのが、赤い光そのものの物理的な制約である。
赤い光は海水中で吸収されやすいため、遠距離通信や広範囲の照明には向かない。発光器をつくるだけでなく、それを見るための特殊な視覚も必要になる。
つまり、赤色発光は「青い発光より優れている」のではない。
青い光には遠くへ届きやすいという利点があり、赤い光には他の生物から見えにくい可能性がある。それぞれが異なる条件で意味をもつ。
進化は万能な装備を目指すのではなく、その生物が置かれた環境の中で機能する仕組みを積み重ねていく。
赤い発光は、その極端な一例と見ることができる。
本当に獲物には見えていないのか
ここにも未解明な点がある。
「多くの深海生物は赤い光をほとんど見られない」という傾向と、「すべての獲物が赤い光を完全に認識できない」という断定は同じではない。
深海動物の視覚能力は多様であり、調べられていない種も膨大に存在する。さらに、非常に強い光であれば本来感度の低い波長でも反応する可能性を完全には排除できない。
したがって、「誰にも見えない光」という表現は厳密には強すぎる。
現時点で言えるのは、赤色発光を使う魚が、一般的な深海の青色中心の視覚環境から大きく外れた波長を利用し、それを感知できる特殊な視覚系を備えているということである。
深海には私たちとは違う「光の世界」がある
人間は光を見るとき、つい自分の眼を基準に考えてしまう。
しかし、生物にとって重要なのは人間が何色と呼ぶかではない。その環境にどんな波長の光が存在し、どの波長を感知できるかである。
ほとんど青い光しか存在しない深海では、わずかな視覚感度の違いが、生物から見える世界そのものを変える。
さらに赤い発光をつくり、その光を見る能力を獲得すれば、同じ場所に暮らしていても他の生物とは異なる光景を見ている可能性がある。
暗闇とは、何も見えない世界とは限らない。
赤い光を使う深海魚が示しているのは、深海の闇の中にも、私たちにはそのまま見ることのできない「光の生態系」が存在しているということだ。そして、その光が実際の狩りや情報交換の中でどのように使われているのかは、今なお深海に残された謎の一つである。