海中を漂う白い粒が、暗い水の中をゆっくりと落ちていく。潜水艇や深海探査機の映像では、まるで雪が降っているように見えることがある。
この「マリンスノー」は本物の雪ではない。主な材料は、海の表層で生まれた生物由来の粒子だ。植物プランクトンや動物プランクトンの死骸、排泄物、粘液、脱落した組織などが集まり、ときには鉱物粒子なども巻き込みながら沈んでいく。
太陽光がほとんど、あるいはまったく届かない深海では、光合成によって新しい有機物をつくることができない。そのため、上の海から降ってくるマリンスノーは、深海生態系を支える重要な物質輸送のひとつになる。
では、深海生物は本当にこの「雪」を食べているのだろうか。
マリンスノーの正体は「海の上層から届く有機物」
海の表面付近では、植物プランクトンが光合成によって有機物をつくる。それを動物プランクトンが食べ、さらに魚などへと食物網が広がっていく。
しかし、つくられた有機物のすべてが生物の体内に残るわけではない。死んだプランクトン、食べ残し、糞粒、粘液などの一部は海中の粒子となる。小さな粒同士が粘着性の物質などによって結びつき、より大きな凝集体になることもある。こうした沈降粒子のうち、雪のように見えるものがマリンスノーと呼ばれている。
したがって、マリンスノーは一種類の物質ではない。
ある粒にはプランクトンの破片が多く含まれ、別の粒は糞粒を中心にできているかもしれない。細菌などの微生物が付着していることもある。粒の大きさ、密度、組成はさまざまで、それによって沈む速さや分解されやすさも変わる。
深海から見れば、それは単なる「ゴミ」ではない。太陽光のある世界でつくられたエネルギーと物質を、暗い海へ運ぶ荷物なのである。
深海生物にとって本当に食べ物になる
マリンスノーが深海生物の食物になること自体は、単なる想像ではない。
沈降する有機粒子は、中深層や深海に暮らす動物、原生生物、細菌などに利用されている。マリンスノーを直接捕らえる生物もいれば、粒子に付着した微生物や、海底にたまった有機物を利用する生物もいる。WHOIやMBARIも、沈降粒子を深海生物にとって重要な食物源として説明している。
ただし、「深海生物はみんなマリンスノーを食べている」と考えるのは単純すぎる。
深海にも捕食者がいるし、海底の堆積物を食べる動物、沈んできた死骸を利用する動物もいる。熱水噴出孔や冷湧水域のように、化学合成微生物による一次生産が重要な生態系も存在する。
マリンスノーは深海に存在する唯一の食料ではない。それでも、広大な外洋の深海へ表層由来の有機物を送り込む主要な経路のひとつであることは確かだ。
途中で食べられる「雪」
マリンスノーは、海面から海底までそのまま落ちていくわけではない。
粒子が沈んでいる途中にも生物がいる。
特に、水深数百メートルから千メートル前後に広がる中深層では、動物や微生物が沈降粒子を利用する。粒子は食べられ、細かく壊され、微生物によって分解される。その一方で、動物に食べられた有機物が糞粒としてまとめ直され、より速く沈む粒子になる場合もある。
つまり中深層は、単なる通過地点ではない。
マリンスノーが「食べられ、壊され、作り直される」巨大な加工場でもある。
その結果、海の表面付近から沈み始めた有機物の多くは、深くなるにつれて減少していく。微生物による呼吸や動物による摂食などによって有機炭素が再び溶存無機炭素へ変換されるため、表層から輸送された粒子のすべてが深海底まで届くわけではない。中深層でどれほど炭素が失われるかは、海洋の炭素循環を理解するうえで重要な研究対象になっている。
海底まで届けば、ごちそうになることもある
それでも、一部の粒子はさらに深く沈む。
海底に到達した有機物は、底生生物や微生物に利用される。普段の深海底では食料供給が限られるため、表層で生物生産が増え、その後に沈降粒子が大量に届くような時期には、海底生態系へまとまった有機物が供給される可能性がある。
ただし、マリンスノーの量はいつでも一定ではない。表層のプランクトン群集、水温、季節、海流、粒子の凝集状態など多くの条件に左右される。粒子がどの程度深くまで届くかも場所や時期によって変わる。
そのため、深海生物から見たマリンスノーは、毎日同じ量が配給される食事というより、供給量や質が変動する食料源と考えたほうが実態に近い。
「降る量」はどうやって調べるのか
マリンスノー研究で大きな問題になるのが、沈んでいる粒子を正確に測る難しさだ。
代表的な方法のひとつが**セジメントトラップ**である。海中に捕集装置を設置し、一定期間に沈んできた粒子を集める。回収した試料を分析すれば、有機炭素などがどの程度下方向へ輸送されているのかを調べられる。NOAAなどでも、生物ポンプを調査するためにこうした装置が利用されている。
一方、カメラや光学機器を使えば、粒子を海中にある状態のまま観察できる。粒の大きさや形、数の変化などを調べることで、いつ、どのようなマリンスノーが形成されているのかを推定できる。
しかし、どちらの方法にも限界がある。
捕集装置では、実際に沈んでいる粒子の流れを完全に再現できるとは限らない。画像から粒子の形を確認できても、その粒にどれだけ炭素や栄養が含まれているかを画像だけで正確に判断することは難しい。
このため現在の研究では、捕集、画像観察、化学分析など複数の方法を組み合わせて沈降粒子の実態を調べている。マリンスノーの発生や沈降量を予測することには、現在も大きな不確実性が残る。
マリンスノーは地球の炭素も運んでいる
マリンスノーが運んでいるのは、深海生物の食料だけではない。
その中には炭素が含まれている。
海面付近で植物プランクトンが二酸化炭素を利用してつくった有機物の一部が粒子となり、深い海へ沈んでいく。この一連の炭素輸送は「生物ポンプ(生物学的炭素ポンプ)」と呼ばれる仕組みの重要な部分である。
深い海まで運ばれた炭素は、表層にとどまる場合より長期間大気から隔離される可能性がある。そのため、マリンスノーがどのくらい作られ、どの速さで沈み、途中でどの程度分解されるのかは、深海生態学だけでなく地球規模の炭素循環を考えるうえでも重要になる。
ただし、「マリンスノーが増えれば、その分だけ炭素が海底に蓄積される」と単純には言えない。
沈んだ有機物の多くは途中で再利用される。どれだけの炭素がどの深さまで輸送され、どれほど長期間隔離されるかは、生物活動や海洋環境によって大きく変わる。生物ポンプの効率を正確に評価することは、現在も海洋科学の重要課題である。
まだ分からない「雪の行方」
現在の観察から、マリンスノーが表層から深海へ有機物を運び、中深層や深海の生物に利用されていることは分かっている。
一方で、個々のマリンスノーがどこで生まれ、どれほどの速度で沈み、途中で誰に食べられ、どこまで到達するのかを海全体について追跡することはできない。
粒子は互いにくっつき、壊れ、生物に食べられ、糞として作り直され、微生物に分解されながら沈んでいく。しかも、その過程は海域や季節によって変化する。こうした複雑さが、マリンスノー研究を難しくしている。
深海探査機のライトに浮かび上がる白い粒は、一見すると静かに降る雪にしか見えない。
しかし、その一粒一粒は、太陽の光がある海と、光のない深海を結ぶ物質輸送の一部である。ある粒は途中で食べられ、ある粒は細菌に分解され、ある粒はさらに暗い深海へ落ちていく。
マリンスノーは確かに深海の食べ物になる。
ただし、その本当の面白さは「深海に食べ物を届ける」という一点だけではない。海面で生まれた生命の一部が形を変えながら数百、数千メートル下へ運ばれ、深海の食物網と地球の炭素循環を同時につないでいる。その巨大な循環の途中を、私たちは探査機のライトの中で「雪」として見ているのである。