海面から見下ろす海は、明るく青く見える。しかし、その光は海の底まで均等に届いているわけではない。水中へ入った太陽光は、吸収されたり散乱したりしながら急速に弱まっていく。やがて、人間の目では太陽由来の光をほとんど感じられない世界へ変わる。
深海が暗いのは、単に「海が深いから」ではない。水そのものの性質、光の波長、植物プランクトンや懸濁物、海況などが組み合わさり、光の届き方を決めている。そして、この光の減衰は、深海生物の目、体色、発光、捕食行動にまで深く関係している。
海に入った太陽光は少しずつ失われていく
太陽から海面へ届く光には、さまざまな波長の光が含まれている。私たちが色として感じる可視光だけを見ても、赤、橙、黄、緑、青といった成分が混ざっている。
しかし、海水の中ではすべての色が同じように進むわけではない。
光が水中を進むと、一部は水分子や溶けている物質に吸収される。また、一部は水分子や微粒子にぶつかって別の方向へ散乱する。そのため、深くなるほど下向きに進む光は弱くなっていく。
重要なのは、**光の減り方が波長によって違う**ことである。
一般に、水中では赤い光ほど比較的早く吸収され、青から青緑の光はより深いところまで届きやすい。透明度の高い外洋が青く見える理由の一つも、この水による波長ごとの吸収の違いにある。
そのため、海へ潜っていくと、地上では鮮やかな赤色だった物体も、自然光の下では次第に暗く見えるようになる。さらに深くなれば、太陽光そのものが弱くなり、色を識別することも難しくなっていく。
「何メートルまで光が届く」と一本の線は引けない
太陽光が届く深さについて、「水深何メートルから完全な暗闇になる」と考えたくなる。しかし、実際にはそれほど単純ではない。
海水の透明度は場所によって大きく異なるからだ。
外洋の澄んだ水では比較的深い場所まで光が通る。一方、沿岸域では河川から流れ込む土砂や有機物、植物プランクトンなどによって光が散乱・吸収され、浅い場所でも急速に暗くなることがある。季節や天候、海面の状態によっても光環境は変化する。
このため、海洋学では光環境を一律の深さだけで区切るのではなく、光の強さや生物学的な意味も含めて考える。
代表的なのが、太陽光を利用した光合成が可能な「有光層」である。その下には、太陽光が残っていても光合成には十分でない薄暗い領域が続き、さらに深くなると太陽由来の光は実質的に生態系を照らす役割を失っていく。
境界となる深さは海域や条件によって変わるため、「ここから先は必ず真っ暗」と固定的に考えるのは正確ではない。
深海では「暗い」ことそのものが環境条件になる
深海に届く太陽光が弱くなることは、生物にとって単なる景色の変化ではない。
浅い海では、太陽光を使って植物プランクトンや海藻などが光合成を行い、有機物をつくる。ところが太陽光が十分に届かない深さでは、光合成による一次生産は基本的に期待できなくなる。
そのため、多くの深海生態系は、表層でつくられた有機物が沈んでくることに依存している。植物プランクトンの破片、動物の排泄物、死骸などが沈降し、深海へエネルギーを運ぶ。
一方、熱水噴出孔や冷湧水域などには、太陽光ではなく化学反応から得られるエネルギーを利用する微生物を基盤とした生態系も存在する。
つまり、光が届かなくなることは、食物連鎖の出発点そのものを変えるほど大きな環境変化なのである。
赤い体が深海では目立たないことがある
光の減衰は、深海生物の体色を考えるうえでも重要である。
深海には赤色や暗赤色の体を持つ甲殻類や魚類などが見られる。地上では赤は目立つ色だが、赤い波長の太陽光は比較的浅いところで吸収されやすい。
赤い物体が赤く見えるのは、赤い光を反射して私たちの目に届けるからである。ところが周囲に赤い光がほとんど存在しなければ、赤い体は赤く輝くことができない。
その結果、自然光が非常に弱い深い海では、赤色の体が暗く見える場合がある。これは深海生物の体色と環境光との関係を理解するうえで重要な仕組みだ。
ただし、「深海の赤い生物はすべて隠れるために赤く進化した」と一括して断定することはできない。体色には系統的な制約や生理的要因なども関係するため、それぞれの生物について検証する必要がある。
青い光が深海で重要になる理由
太陽光のうち比較的深くまで届きやすいのが青から青緑の領域である。そして興味深いことに、深海生物がつくる生物発光にも、この付近の色が多く見られる。
これは深海で光が伝わりやすい波長と無関係ではないと考えられている。
光を合図として利用するなら、すぐに吸収される光よりも、水中を比較的伝わりやすい光の方が有利になる可能性がある。また、多くの深海生物の視覚も、こうした光環境と関係している。
ただし、深海生物の視覚は一様ではない。光への感度、識別できる波長、目の構造は種によって異なる。ごく弱い光を捉えることを重視した目もあれば、目が小さい、あるいは視覚への依存度が低い生物もいる。
「深海は暗い」という同じ条件に対して、生物は一つの方法ではなく、さまざまな進化的な解決策を持っている。
太陽の光が消えても、深海から光が消えるわけではない
太陽光がほぼ届かない深さでも、海中からすべての光がなくなるわけではない。
深海では、魚類、クラゲ類、甲殻類、頭足類など、さまざまな生物が自ら光をつくる。これが生物発光である。
発光は、獲物を誘う、仲間への信号として使う、捕食者から身を守るなど、複数の機能を持つことが知られている。中層では、腹側にある発光器を使って上方からわずかに届く光と自分の輪郭をなじませ、下から見た姿を目立ちにくくする「カウンターイルミネーション」を行う生物も知られている。
ここには興味深い境界がある。
太陽光がまだわずかに残る水深では、その弱い光を利用した視覚や擬態が成り立つ。一方、さらに深い場所では、周囲の光の主要な供給源が生物自身の発光へと変わっていく。
深海の暗闇は、完全に光のない静的な世界というより、ときおり生物がつくる光が現れては消える環境と考えた方が実態に近い。
光の届き方はどう測るのか
海中の光環境は、感覚的な「明るい」「暗い」だけで調べるのではない。
研究では、水中の光の強さや波長ごとの分布を測定する装置が使われる。深さごとにどの波長の光がどれほど残っているのかを調べれば、海水中で光がどのように減衰しているかを定量的に把握できる。
また、海水に含まれる植物プランクトンや溶存物質、懸濁粒子なども測定し、光学的な性質との関係が調べられる。
人工衛星による海色観測から表層の情報を広い範囲で推定する方法もある。ただし、衛星が直接観測できるのは主に海面付近から返ってくる光であり、深海そのものを光学的に見通しているわけではない。
深い場所の実際の光環境を知るには、現場観測が重要になる。
「完全な暗闇」を調べることの難しさ
深海の光を研究するときには、観測そのものが環境を変えてしまう問題もある。
有人潜水船や無人探査機で生物を撮影する場合、カメラだけでは暗すぎるため照明を使うことが多い。しかし、その光は本来の深海には存在しない強さを持つ。
照明を当てれば、生物が逃げたり、行動を変えたりする可能性がある。人間にとって観察しやすい映像が、その生物にとって自然な状態をそのまま示しているとは限らない。
低照度カメラや生物が感じにくいと考えられる波長を利用した観察など、影響を小さくする方法も研究されているが、生物ごとの視覚特性を完全に把握できているわけではない。
したがって、深海映像から行動を解釈するときには、「人工照明下で観察された行動」である可能性を意識する必要がある。
暗闇の中には、まだ分からないことが多い
海中で光が物理的にどのように減衰するかという基本原理はよく理解されている。一方、その光環境を深海生物が実際にどのように感じているのかとなると、未解明な部分は多い。
極めて弱い光をどこまで感知できるのか。生物発光をどの距離から認識できるのか。色の違いをどの程度利用しているのか。人工照明を避ける生物が、本来どのような行動をしているのか。
こうした問いへの答えは、種ごとにも、水深ごとにも異なる可能性がある。
海面から差し込んだ太陽光は、深くなるにつれて静かに姿を消していく。しかし、その消え方を追っていくと、深海が単なる「光のない場所」ではないことが見えてくる。
光が減ることで光合成が難しくなり、届きやすい色が限られ、生物の視覚や体色が変わり、やがて生物自身が光をつくる世界へ移っていく。
海の明るさが変化する境界は、表層と深海を隔てる一本の線ではない。太陽の世界から、生物がつくる光の世界へと続く、長いグラデーションなのである。