暗い海底を、細長い魚がゆっくり進む
深海探査機の映像に、頭の大きな魚が現れる。胴体は後方へ行くほど細くなり、長い尾の先は糸のように見える。海底すれすれを泳ぐその姿は、一般的な魚の輪郭とはかなり違っている。
こうした魚の代表がソコダラ類である。ここでは主にタラ目ソコダラ科(Macrouridae)の魚を扱う。英語では「grenadier」や、細長い尾に由来する「rattail」と呼ばれる。ソコダラ科は世界各地の深い海に分布する大きなグループで、深海魚のなかでも重要な存在である。
ただし、「ソコダラ」という一つの魚がいるわけではない。多くの種を含み、暮らす水深も体の大きさも食べ物も異なる。深海底付近に共通して見られる姿には意味がある一方、すべてのソコダラ類を同じ生活様式で説明することはできない。
彼らを理解する鍵は、奇妙に見える姿そのものではなく、その姿が**深海底という環境で何を可能にしているのか**を見ることにある。
なぜ頭が大きく、尾が細いのか
ソコダラ類の多くは、比較的大きな頭部から後方へ向かって体が細くなっていく。尾びれが一般的な魚のようにはっきり分かれず、尾端へ向かって背びれや尻びれが続くような形をした種も多い。
この体形を単純に「深海では泳がなくてよいから」と考えるのは早計だ。ソコダラ類は海底に横たわって生活するだけの魚ではなく、海底近くの水中を移動し、餌を探している。
深海では、浅い海のように大量の餌が常に存在するとは限らない。餌を求めて一定の範囲を移動する必要がある一方、速い巡航や激しい追跡を続けることが必ずしも有利とは限らない。細長い体と尾を含む形態は、こうした底層付近での遊泳生活と関連していると考えられている。
ただし、体形の一部分だけを取り上げて「これは省エネルギーのために進化した」と断定することはできない。魚の形は遊泳、捕食、成長、系統的な制約など複数の要因から生まれるためである。
ソコダラは「海底の掃除屋」なのか
ソコダラ類についてよく語られるのが、死骸を食べる深海の掃除屋というイメージだ。
これは完全な間違いではない。海底に動物の死骸が落下すると、ソコダラ類が接近することがある。深海で行われた餌への誘引実験でも、ソコダラ類を含む魚や甲殻類が死骸などの臭いに反応して集まる様子が研究されている。
しかし、**死骸だけを食べて生きているわけではない。**
胃内容物の調査では、ソコダラ類が甲殻類、魚類、頭足類などさまざまな動物を食べることが確認されている。ニュージーランド周辺で複数種を調べた研究でも、種によって食性が異なることが示されている。
つまりソコダラ類には、自分で獲物を捕らえる捕食者としての側面と、利用可能な死骸を食べる腐肉食者としての側面がある。
深海では「捕食者」「腐肉食者」という区分が、必ずしも陸上動物ほど明確ではない。滅多に現れない大きな死骸を利用しながら、普段は小型動物を捕食するという柔軟な食生活は、餌の供給が不規則な環境では合理的である。
海底だけを見ていても食物網は分からない
ソコダラ類の生活をさらに興味深くしているのが、海底とその上の水中とのつながりである。
深海底に暮らす魚なら、海底にいる動物ばかりを食べているように思える。しかし東部北太平洋のソコダラ類を胃内容物と安定同位体から調べた研究では、一部が海底の食物網だけではなく、海底より上の水中を経由して供給される餌資源を利用していることが示されている。
これは重要な点である。
深海底は、完全に閉ざされた世界ではない。
表層で作られた有機物は沈降し、動物の死骸も落下する。さらに、中深層や漸深層を移動する魚や甲殻類が深海底の捕食者に食べられれば、物質とエネルギーは水中から海底へ運ばれる。
ソコダラ類は、そのような**海底と水中をつなぐ食物網の一員**でもある。
何もない泥の上で、どうやって餌を見つけるのか
深海底の映像を見ると、広大な泥の平原が延々と続いているように見えることがある。
そこをソコダラ類が泳いでいる。
では、暗闇のなかで餌をどうやって発見しているのだろう。
深海魚では視覚だけでなく、嗅覚や側線など複数の感覚が重要になる。ソコダラ類についても、餌の臭いに反応して接近する行動が観察されているため、化学感覚が餌探索に関与していることは十分に考えられる。
一方で、「何キロメートル先の死骸でも嗅ぎつける」といった具体的な能力を、ソコダラ類全体について語ることはできない。水中で臭いが広がる範囲は海流や地形によって変化し、種ごとの感覚能力にも違いがある。
大きな眼をもつ種もいるが、眼の大きさだけから視覚の性能や行動を正確に推定することも難しい。
暗闇のなかで彼らがどの感覚をどの程度使い分けているのかは、なお研究の余地が大きい。
4000メートルを超える世界にもソコダラがいる
ソコダラ類が暮らす水深は種によって大きく異なる。大陸斜面に多い種もいれば、さらに深い深海平原に進出したものもいる。
ソコダラ科のホカケダラ属 *Coryphaenoides* を対象とした系統研究では、4000メートルを超えるような深度に生息する種を含む系統が確認され、深度と進化の関係が検討されている。
4000メートルでは、水圧は非常に高く、水温も低い。太陽光は届かず、表層から降ってくる有機物の多くは途中で消費されてしまう。
だからといって、深いほど生物が単純になるわけではない。
同じソコダラ類のなかでも、異なる水深帯に適応した種が存在する。深海という一語でまとめられがちな世界の内部にも、数百メートル規模の水深差によって異なる環境が成立しているのである。
深さそのものが、ソコダラ類の分布や系統の形成にどのように関わってきたのかは、深海魚の進化を考えるうえでも重要な研究テーマになっている。
深海魚の一生は、まだ見えない部分が多い
深海探査機で成魚を撮影できても、その魚の一生を見たことにはならない。
どこで産卵するのか。
卵はどの水深にあるのか。
仔魚は成魚と同じ深さで暮らすのか。
成長すると移動するのか。
こうした情報は、種によっては十分に分かっていない。
漁獲標本から生殖腺や耳石を調べることで、成熟時期、成長、年齢などを推定することはできる。しかし深海では、生きた個体を長期間追跡して生活史全体を直接観察することが難しい。
さらに、同じソコダラ科でも生活史は一様ではない。南極海のソコダラ類についても、近縁種間で成長や成熟などを比較する研究が行われており、「ソコダラ類ならすべて同じ成長戦略をとる」とは考えられない。
深海魚を理解するときには、観察された事実と、標本から推定された生活史を区別して考える必要がある。
海底の映像から見えるもの、見えないもの
現在では、有人潜水船だけでなく、ROVなどの無人探査機によって深海魚を生きた状態で観察できる。
ソコダラ類が海底近くを泳ぐ様子も撮影されている。約4000メートルの深海で、ROVと音響観測を組み合わせて深海性ソコダラ類の分布を調べた研究もある。
こうした映像は非常に価値が高い。
網で捕獲した標本からは体の構造、胃内容物、年齢などを調べられるが、生きている魚がどの高さを泳ぐのか、どのように方向転換するのか、他個体とどの程度離れているのかといった行動は分かりにくいからだ。
一方、探査機の映像にも限界がある。
ライトや機体そのものに魚が反応している可能性があり、短時間の映像がその個体の日常生活を代表しているとも限らない。映像に多く映るからといって、その場所で最も多い魚だと即断することもできない。
深海研究では、映像、採集標本、音響観測、胃内容物、安定同位体など、異なる証拠を重ね合わせて初めて生活像が見えてくる。
長い尾の向こうには、まだ知らない生活がある
ソコダラ類は、巨大な牙や発光器で注目を集めるタイプの深海魚ではないかもしれない。
しかし彼らは、深海底を理解するうえで非常に興味深い魚である。
海底近くを移動し、小動物を捕らえ、ときには落下してきた死骸を利用する。その食生活を通じて、海底だけでなく上層の水中ともつながっている。そして近縁な魚たちが、さまざまな深さへ進出してきた。
確実に分かっているのは、ソコダラ類が深海の食物網を構成する重要な魚であり、その暮らし方には大きな多様性があるということだ。
一方、餌を探すときの感覚の使い分け、長距離の移動、繁殖場所、幼魚期の生活、個体同士の関係など、自然状態で直接確認できていない部分はまだ多い。
暗い海底を一本の細長い影が通り過ぎる。
数分間の探査映像なら、それだけで終わってしまう。
しかしその魚がそこへ来るまでにどこで生まれ、何を食べ、どれほどの範囲を移動してきたのかまで考えると、映像の外側にはほとんど知られていない一生が広がっている。
ソコダラ類の神秘は、珍奇な姿にあるのではない。
**深海で普通に生きている魚でありながら、その「普通の暮らし」の多くを、私たちはまだ見たことがないことにある。**