暗い海底から細い柄を伸ばし、その先で大きな「口」を開いている。オオグチボヤ(*Megalodicopia hians*)の姿を見ると、獲物が近づくのを待ち構える深海の捕食者を思わせる。
実際、英語では「Predatory tunicate(捕食性のホヤ)」と呼ばれることがある。しかし、その食生活を詳しく調べると、単純に「大きな口で動物を丸のみする肉食動物」と説明するだけでは足りない。
小型の甲殻類だけでなく、珪藻や有機物の破片まで食べていることが確認されているからだ。巨大な口の本当の意味は、獲物を追いかけるためというより、**深海を流れてくる食物を逃さず受け止めるための装置**として考えたほうが実態に近い。
巨大な「口」は、ホヤの入水口が変化したもの
オオグチボヤは魚ではなく、ホヤの仲間である。海底の岩などに付着し、基本的にはその場所から移動せずに暮らす。
一般的なホヤは、入水口から海水を取り込み、体内を通過させながら細かな食物粒子を濾し取る。ところがオオグチボヤの仲間では、この入水側の部分が大きく発達している。
正面から見ると上下に大きく開いた唇のようで、その内側には広い空間がある。MBARI(モントレー湾水族館研究所)は、*Megalodicopia* 属では大きく発達した入水側の部分を閉じることで、小型の無脊椎動物など比較的大きな食物まで取り込めると説明している。
つまり、あの巨大な口は単なる外見上の奇妙さではない。
動けないオオグチボヤが、海水の流れによって運ばれてきた食物を広い範囲から受け止めるための構造なのである。
何を食べているのかは、消化管の中から分かる
では、実際にあの口の中へ入っているものは何なのだろうか。
重要な手掛かりになったのが、富山湾で採集された個体の研究である。
2000年、有人潜水調査船「しんかい2000」によって富山湾の深海底でオオグチボヤの集団が観察され、翌2001年には水深592~978メートルから36個体が採集された。現場では、大きな入水口を開いて海流中を漂う物質を取り込んでいる様子が観察された。さらに消化管内容物を顕微鏡で調べると、小型甲殻類、珪藻、デトリタスなどが確認された。
ここで重要なのは、食べていたものが一種類ではないことだ。
小型甲殻類は明らかに動物性の餌である。一方、珪藻は微細な植物プランクトンの一群であり、デトリタスは生物の死骸や排出物などに由来する有機物の破片を含む。
したがって、少なくとも確認された食物から見る限り、オオグチボヤは「動物だけを狙う専門的な捕食者」ではない。
**流れてきて利用できるものを幅広く取り込む食べ方**をしていると考えられる。
「待ち伏せ捕食者」だけでは説明しきれない
オオグチボヤはしばしば、ハエトリグサのように獲物を待ち構える動物として紹介される。
その説明には根拠がある。
大きな入水口の内側に小型の甲殻類などが入り込めば、開口部を閉じて取り込むことができる。モントレー海底峡谷で研究されたオオグチボヤについても、この仲間の発達した口側の構造が動く獲物を捕らえることが報告されている。
しかし、それだけを強調すると実際の食生活を狭く見てしまう。
富山湾で行われた別の研究では、入水口や糞に含まれる物質などから、オオグチボヤには海中を漂う物質を受け取る「懸濁物食」の性格があると推定された。また多くの個体が同じような向きで大きな開口部を下方へ向けており、海底付近の上向きの流れによって運ばれる懸濁物や、いったん海底に沈んでから巻き上げられた物質を利用している可能性が指摘されている。
近年の研究でも、オオグチボヤの食性について、細かな懸濁物を利用する食べ方を中心としながら、機会があれば比較的大きな餌も取り込むという解釈が示されている。
「捕食」と「濾過・懸濁物食」のどちらか一方に完全に分類するより、複数の大きさの食物を利用できる生物として見るほうがよさそうだ。
大きな口は「少ない食物を広く拾う」ためなのか
なぜ、それほど大きく開く必要があるのだろう。
ここから先には推定が含まれる。
深海では、浅い海のように光合成によってその場で大量の有機物が生産されるわけではない。多くの場所では、上層から沈んでくる有機物や海流によって運ばれる生物・粒子が重要な食物源になる。
しかもオオグチボヤ自身は岩などに付着しているため、魚のように食物を探して泳ぎ回れない。
そこで、体の前方に大きな開口部をつくり、それを流れに向けておけば、通過する水の中から食べられるものに出会う機会を増やせる可能性がある。
MBARIでも、*Megalodicopia* は岩の多い海底に付着し、大きな開口部を海流へ向けて生活するとされている。現在確認されている食物には、プランクトン、漂流する有機物、小型無脊椎動物などが含まれる。
ただし、「口が大きいほど捕食効率が何倍になる」といった定量的な関係まで分かっているわけではない。
巨大化した入水部が深海での食物獲得に有利だという説明は形態と観察結果から合理的だが、その進化過程や具体的なエネルギー収支まで完全に解明されているわけではない。
流れの向きまで利用している可能性
オオグチボヤの食事を理解するとき、餌の種類だけでなく「どこを向いているか」も重要になる。
海底に固定された生物にとって、水流は食物を運んでくるベルトコンベヤーのような役割を持つ。
富山湾で観察された個体が一定方向を向いていたことは、その流れを利用している可能性を示している。
流れの中に甲殻類が来れば動物性の餌を得られるかもしれない。珪藻や細かな有機物が来れば、それらも利用できる。
この見方をすれば、大きな開口部は「獲物だけを選んで捕らえる罠」というより、**流れてくる食物のサイズにある程度幅を持たせた受け口**と考えることができる。
そのため、巨大な口と動かない生活は矛盾していない。
むしろ動かないからこそ、海そのものを動かしている水流に食物探索を任せているともいえる。
口が閉じたあと、何が起きるのか
映像では、大きく開いていた部分が閉じる様子が強い印象を残す。
だが、自然環境で「どの刺激を感知して閉じるのか」「食物の種類によって反応が変わるのか」「一日に何回程度大きな餌を取り込むのか」といった細かな摂餌行動については、まだ分かっていないことが多い。
深海生物を調べる難しさがここにある。
消化管を調べれば「何を食べたか」は分かる。潜水艇やROVの映像からは「どのような姿勢でいるか」「開口部をどう動かすか」を観察できる。
しかし、それだけで何日間もの食生活を連続して知ることはできない。
まして、採集された個体の胃腸に甲殻類が入っていたからといって、普段の食物の大部分が甲殻類だとは限らない。逆に、微細な物質が多く見つかったからといって、大きな餌を捕らえる能力が重要でないとも言えない。
観察できた事実と、そこから推定される生活を分けて考える必要がある。
巨大な口は、深海で「選ばない」ための装置かもしれない
オオグチボヤの巨大な口を見ると、どうしても「何を襲うための武器なのか」と考えたくなる。
しかし、これまでに分かっている食物は、小型甲殻類から珪藻、デトリタスまで幅広い。大型の入水部を流れへ向け、動物も微細な有機物も取り込むという姿から見えてくるのは、獲物を厳密に選ぶ捕食者とは少し違う生活である。
食物との出会いが限られる深海で、目の前を通過した利用可能なものを逃さない。
オオグチボヤの大きな「口」は、そんな食生活を可能にする構造なのかもしれない。
何をどの割合で食べ、どれほど頻繁に大型の餌を捕らえているのかには、まだ空白が残っている。
だからこそ、海底で口を開いたまま静止するその姿は興味深い。
何もしていないように見える時間そのものが、流れの中から次の食物が現れるのを待つ、深海での食事なのかもしれない。