深海生物図鑑

深海ではなぜ新種が見つかり続けるのか

深海から引き上げられた生物を見て、「これは誰も知らない生き物ではないか」と期待することがある。透明な体、長く伸びた脚、奇妙に発達した感覚器。地上では見慣れない姿が多い深海では、未知の生物との遭遇がいまも珍しくない。

しかし、「見たことがない生物」と「新種」は同じではない。新種とは、単に珍しい個体が発見されたという意味ではなく、既知の種と比較し、独立した種として科学的に記載されたものを指す。

そして深海では、この新種記載につながる発見が現在も続いている。それは深海生物が特別な速さで新しく生まれているからではない。大きな理由は、私たちが深海の生物相をまだ十分に調べ切れていないことにある。

「発見」と「新種記載」は別の出来事

海底調査で未知らしい生物が撮影されたとしても、その瞬間に新種になるわけではない。

研究者はまず、その生物がすでに知られている種ではないかを調べる。体の形や器官の配置、骨格、歯、触角、脚、生殖器など、分類群ごとに重要な特徴を既知種と比較する。近年ではDNAの塩基配列も重要な判断材料になる。

その結果、既知のどの種にも当てはまらず、独立した種と判断する根拠が得られれば、特徴を詳細に記載し、学術的な手続きを経て新種として発表することになる。

したがって、新種記載までには標本の確保が重要になる。

映像にだけ残された深海生物の場合、「未知種の可能性がある」と推定することはできても、形態を詳しく調べられず、正式な種の記載まで進めないことがある。深海探査映像には、正体が確定していない生物が映り込むこともあるが、それだけで新種と断定することはできない。

深海そのものが、まだ十分に調べられていない

深海で新種が見つかり続ける最大の背景は、調査の難しさにある。

深海へ行くには、調査船に加えて、有人潜水船、遠隔操作無人探査機(ROV)、自律型無人潜水機(AUV)、採泥器、トロールなどの装置が必要になる。高い水圧、低温、暗闇という環境に耐える機器も求められる。

しかも、一度の潜航で観察できる海底は限られている。

陸上なら研究者が森や干潟を歩きながら広い範囲を繰り返し調査できるが、深海では同じことが容易ではない。船を出し、目的地点まで移動し、装置を海底へ降ろすだけでも大きな作業になる。

そのため、地図上では海として知られている場所でも、そこにどの生物が暮らしているのかまで詳しく調査されているとは限らない。

「未知の深海生物が次々に出現している」というより、これまで人間が十分に観察できなかった生物を、ようやく見つけられるようになってきたと考えるほうが正確である。

深海は一様な世界ではない

暗く冷たい海という印象から、深海全体が似た環境に見えるかもしれない。しかし実際の海底には、さまざまな環境が存在する。

平坦な深海底だけでなく、海山、海嶺、海溝、急斜面、熱水噴出域、冷湧水域などがあり、底質にも泥、砂、岩盤などの違いがある。

こうした環境の違いは、生息できる生物にも影響する。

たとえば硬い岩盤に付着する生物と、柔らかな堆積物の中に潜る生物では、必要な適応が異なる。化学合成を利用する微生物が豊富な熱水噴出域や冷湧水域では、それらと共生する動物を含む特徴的な生態系が成立することも知られている。

さらに海山や海溝などでは、地形によって生物集団が隔てられる可能性もある。

ただし、「深海では環境が分断されているから必ず新種が多く生まれる」と単純に言い切ることはできない。生物ごとに移動能力や幼生の分散範囲が異なり、どの程度集団が隔離されているかも異なるからだ。

深海の複雑な地形と環境が多様な種の存在に関係していることは考えられるが、その進化史は種ごとに調べる必要がある。

見た目だけでは区別できない新種もいる

新種というと、既知種とはまったく異なる奇抜な姿を想像しやすい。しかし実際には、外見が非常によく似た別種が存在する。

見た目ではほとんど区別できなくても、詳しい形態比較や遺伝子解析によって、異なる系統であることが明らかになる場合がある。こうした存在は深海に限った現象ではないが、標本数の少ない深海生物では特に分類が難しくなることがある。

逆に、外見が大きく違うからといって、ただちに別種とも限らない。

雄と雌で姿が異なる場合、幼体と成体で体形が変化する場合、成長段階や環境によって形態が変わる場合があるからだ。

一個体だけを見て分類する危険性はここにある。

DNA解析はこうした問題を解く強力な手段だが、DNAだけですべてが自動的に決まるわけでもない。どの程度の遺伝的差異を別種と判断するかは分類群によって事情が異なる。形態、生態、分布、遺伝情報など、複数の証拠を組み合わせることが重要になる。

新しい探査技術が「未知」を見えるようにする

深海生物の発見数には、探査技術の発達も大きく関係している。

高性能な深海カメラを使えば、生物を捕獲せずに海底での姿や行動を観察できる。ROVなら研究者が映像を見ながら対象を選び、マニピュレーターで標本を採取することも可能である。

従来の網による採集では、柔らかな生物が壊れたり、網を避ける生物を捕まえられなかったりすることがある。海底を直接観察する技術が加わったことで、それまで採集標本として残りにくかった生物も研究対象になってきた。

一方で、撮影技術が発達すると別の問題も生じる。

映像では明らかに未知らしい生物が見えているのに、標本を回収できないことがあるからだ。その場合、「未記載種らしい生物が存在する」という段階と、「正式に新種として記載された」という段階の間に距離が生まれる。

深海には、科学的には存在が知られながら、分類上の正体がまだ確定していない生物もいると考えられる。

小さな生物ほど未知の余地が大きい

深海の新種というと、大型の魚や巨大な甲殻類が注目されやすい。しかし、種多様性を考えるうえでは、小型の無脊椎動物も重要である。

海底の泥や砂の中には、多様な小型動物が暮らしている。こうした生物を調査するには、海底堆積物を採取し、その中から微小な生物を選別して顕微鏡で調べなければならない。

大型動物に比べて発見しにくく、分類には専門的な知識も必要になる。

そのため、ある海域をROVで詳細に撮影したからといって、そこにいる生物種をすべて把握できたことにはならない。映像にはほとんど映らない小型生物や、堆積物内部で生活する生物が多数存在する可能性がある。

深海の生物多様性を理解するには、「目立つ生物を見つけること」と「生態系全体の種を調べること」を分けて考える必要がある。

新種が見つかることは、何を意味しているのか

新種記載には、単に生物の名前を一つ増やす以上の意味がある。

どの地域にどの種が生息しているのかが分かれば、深海生態系の分布構造を考える手がかりになる。近縁種との関係を調べれば、深海への進出や環境適応の進化史を推定できる可能性もある。

また、深海開発や資源利用を考える場合にも、生物相を把握することは重要である。

ただし、新種が一種見つかっただけで、その地域の生態系全体を理解したことにはならない。標本が少なければ、生息範囲、個体数、寿命、繁殖、食性などがほとんど分からないままの場合もある。

新種記載は研究の終点ではなく、むしろ「この生物は何者なのか」という研究の出発点になることが多い。

深海には、あと何種いるのか

では、深海にはまだ何種の未知種が残されているのだろうか。

正確な数は分からない。

未調査の海域があり、すでに採集された標本の中にも分類研究が完了していないものがある。さらに、DNA解析によって従来一種と考えられていた生物が複数種に分けられる可能性もある。

逆に、別種とされていたものが研究の進展によって同一種と判断されることもあり得る。分類は、新しい証拠によって修正されていく科学の一分野である。

だからこそ、深海で新種が見つかり続けるという事実は、「深海には奇妙な生物が無限にいる」という意味ではない。

それは、地球上の巨大な生活圏である深海について、人間の調査がまだ途中にあることを示している。

探査機のライトが初めて照らす岩陰、採泥器が初めてすくい上げる海底、顕微鏡の下で初めて詳しく観察される小さな生物。その一つ一つが、既知の生命世界の境界を少しずつ広げていく。

深海での新種記載が続くのは、深海が生命の「別世界」だからというだけではない。

私たちがその世界を、まだほんの一部しか読めていないからなのである。