深海生物図鑑

深海採鉱は生態系にどんな影響を及ぼし得るのか

海底の資源を取ることは、海底そのものを変える

太陽光の届かない数千メートルの海底には、金属を多く含む鉱物が存在する。なかでも注目されているのが、深海底に転がる多金属団塊だ。マンガンや鉄を主成分とし、ニッケル、銅、コバルトなどを含むため、資源として採取する構想が長く検討されてきた。経済的に注目される団塊の多くは、水深4000〜6000メートルほどの深海底に分布する。

しかし、深海採鉱で取り除かれるのは鉱物だけではない。採鉱機が海底を走れば堆積物が乱され、団塊がなくなり、泥が水中へ巻き上げられる。

そのため深海採鉱の環境影響を考えるとき、重要なのは「金属を取った場所に穴が残る」という単純な話ではない。深海底そのものが、生物の生活場所であり、生態系を構成する一部だからである。

最も確実なのは、採鉱機が通った場所への直接的な影響

多金属団塊を採取する方法として想定されているのは、海底を走行する採鉱機で団塊を集め、海上まで運び上げる方式である。採鉱機が通過した場所では、団塊の除去、堆積物のかく乱、海底の圧縮などが起こると考えられている。

この部分については、すでに実際の採鉱試験から観察結果が得られ始めている。

2022年に東太平洋の水深約4280メートルで行われた大規模な採鉱機試験では、3000トンを超える多金属団塊が回収された。その約2か月後の調査では、採鉱機が直接通過した場所で、堆積物中に暮らす比較的大型の底生動物の個体密度が37%低下し、確認された種数も32%減少していた。

これは「商業採鉱を行えば必ず同じ割合で生物が減る」という意味ではない。調査対象となった生物群や期間は限られ、場所による自然変動も大きい。それでも、採鉱機が海底を直接かく乱すことで、生物群集が短期的に変化すること自体は、単なる予測ではなく観察された現象である。

傷跡は数十年後にも残る

深海では、海底の変化が非常にゆっくり進む場合がある。

1979年に太平洋のクラリオン・クリッパートン海域で行われた採鉱試験の跡を、44年後の2023年に再調査した研究では、採鉱機が通った地形的な痕跡がまだ明瞭に残っていた。団塊が取り除かれた場所や、走行装置によって形成された溝などが確認され、海底の物理的な状態は元通りになっていなかった。

一方、生物がまったく戻っていなかったわけでもない。

一部の移動性生物や小型底生動物はかく乱域にも生息し、一部の指標では対照地点に近い値まで回復していた。また、大型の単細胞生物であるクセノフィオフォアなど、かく乱された場所へ再び定着した生物も確認されている。

ただし、大型の付着生物を含む群集構成は、44年後にもかく乱前や周辺の海底とは異なっていた。

ここで注意したいのが、「回復」という言葉である。

個体数だけが元に戻ることと、同じ種類の生物が同じ関係をつくる生態系へ戻ることは同じではない。深海採鉱の影響を評価するときには、単純に「生物がいたから回復した」と判断することはできない。

多金属団塊は、鉱石であると同時に「足場」でもある

多金属団塊は、生物にとって単なる石ではない。

広大な深海平原の多くは柔らかい堆積物で覆われている。そのなかで硬い団塊は、海綿や刺胞動物などの付着生物が体を固定できる貴重な基質となる。団塊の表面そのものを生活場所として利用する生物もいる。

そのため、団塊を採取すると、そこに付着していた生物だけでなく、「硬い足場のある環境」そのものが失われる。

食物網と生物同士の関係をモデル化した研究では、団塊を取り除くことによって、生態系内の多くの生物間関係が失われる可能性が示されている。

ただし、これは実際の商業採鉱後に同じ規模の変化が観察されたという意味ではない。生態系モデルを用いた推定であり、結果の大きさには不確実性がある。

それでも、「団塊を取る=無生物の鉱石だけを取る」と考えることはできない。団塊は長い時間をかけて形成されるため、採取された場所に同じ環境が人間の時間感覚で速やかに再生すると考える根拠も乏しい。

海底から舞い上がる「泥の雲」

もう一つ大きな論点が、堆積物プルームである。

採鉱機が海底を走ると、細かな堆積物が巻き上げられる。海底近くを漂う粒子は海流によって運ばれ、採鉱機が直接通っていない場所にも再び沈降する可能性がある。研究では、試験採鉱による堆積物の影響が採鉱区域の外側へ広がり得ることが示されている。

沈降した粒子が生物の表面を覆ったり、ろ過摂食を妨げたり、海底表層の物理・化学環境を変えたりする可能性は指摘されている。

ただし、ここにはまだ大きな不確実性がある。

プルームがどこまで広がるかは、粒子の大きさ、海底地形、海流、採鉱機の設計などによって変わる。さらに、「泥が届いた範囲」と「生態系に重大な変化が起きる範囲」は同じとは限らない。

2022年の採鉱試験後の研究では、プルームの影響を受けた区域で底生動物全体の個体数が明確に減少した証拠は得られなかった一方、優占する種類の関係には変化が見られた。

つまり、堆積物プルームの影響について「広範囲の生物が死滅する」と断定するのも、「すぐ沈むので問題はない」と断定するのも、現在の証拠からは適切ではない。

光や音、水中への排出はさらに分からないことが多い

深海採鉱では、海底の物理的なかく乱以外にも影響源が考えられる。

採鉱機やポンプ、支援船が発する音、作業用照明、振動などである。また、採取物を海上へ運んだ後に分離した海水や細粒物をどこへ戻すかによっては、海底から離れた中層・深層の生態系にも影響が及ぶ可能性がある。

こうした影響は科学的にもっともらしい一方、商業規模の採鉱が長期間続いた場合の生物学的影響については、海底の直接かく乱ほど実証データが豊富ではない。特に、水中を漂って暮らす深海魚、クラゲ、甲殻類、プランクトンなどへの累積的な影響は、今後の重要な研究課題である。

「深海は生物が少ないから影響も小さい」とは限らない

深海平原は、一見すると泥の広がる単調な世界に見える。

しかし調査が進むにつれ、場所ごとに異なる多様な生物群集が存在することが分かってきた。クラリオン・クリッパートン海域でも、多くの底生動物が記録されており、研究対象となった分類群には、科学的にまだ正式記載されていないものが多数含まれている。

このことは環境影響評価を難しくする。

ある生物が採鉱予定地だけに分布するのか、数百キロ離れた場所にもいるのかさえ、十分に分かっていない場合があるからだ。生物の分布と幼生の移動、生息地同士のつながりが分からなければ、局所的なかく乱が種全体に及ぼす危険性を正確に評価することも難しい。

「未知の種が多い」という事実だけで絶滅を予言することはできない。しかし、影響を受ける生態系の全体像をまだ把握できていないという不確実性そのものは、無視できない。

最大の未解明点は「商業規模になったとき何が起こるか」

現在得られている重要な知見の多くは、実験的な海底かく乱や限定された採鉱試験から得られている。

数十年前の試験跡からは、海底の物理的な傷跡が数十年間残り得ることが分かった。一方、一部の生物群には回復も確認された。近年のより大型の採鉱試験では、採鉱機が直接通過した区域で底生動物群集の変化が測定された。

しかし、これらをそのまま長期間・広範囲の商業採鉱へ拡大できるわけではない。1979年の試験は現代の採鉱機とは構造が異なり、かく乱面積も商業採鉱よりはるかに小さかった。研究者自身も、商業規模への単純な外挿には追加の研究が必要だとしている。

複数の採鉱区域が同時に操業した場合の累積影響、生物の長期的な回復速度、プルームの広域的な影響、生物種の地域間のつながりなどには、まだ大きな空白が残っている。

深海採鉱について科学が示しているのは、「必ず深海生態系が崩壊する」という結論でも、「影響は小さく管理できる」という結論でもない。

はっきりしているのは、海底を採掘すれば直接かく乱された環境が変わり、その痕跡の一部は数十年残り得ること。そして、失われる多金属団塊そのものが、多くの深海生物にとって生息環境の一部であることだ。

その影響がどの範囲まで広がり、数十年、数百年という時間のなかで生態系がどこまで戻るのか。深海採鉱をめぐる最大の問いは、まだ海底の暗闇のなかに残されている。