深海では、時間そのものがゆっくり流れているわけではない。それでも、そこに暮らす生物を調べると、浅い海の近縁種より成長が遅かったり、成熟まで長い年月を要したり、繁殖の間隔が長かったりする例が見つかる。
その背景にあるのは、深海特有の「時間感覚」ではなく、主としてエネルギーと環境の問題だ。暗く、冷たく、食物が限られる世界では、生命活動に使える資源を急速に投入するより、少しずつ使いながら長く生きることが有利になる場合がある。
ただし、「深海生物はすべて成長が遅く長寿」というわけではない。深海にも変化の激しい場所があり、比較的速く成長する生物もいる。深海の時間を理解するには、まずこの多様性を忘れないことが重要である。
深海では時間よりもエネルギーが問題になる
太陽光が十分に届く海の表層では、植物プランクトンなどの光合成によって大量の有機物が生産される。その一部は食物連鎖を通じて利用され、さらに死骸や排泄物などとして深い海へ沈んでいく。
しかし、沈んだ有機物の多くは途中で分解されたり、他の生物に食べられたりする。そのため、一般に海底へ向かうほど表層で生産された食物に由来するエネルギーは限られていく。
この環境では、獲得したエネルギーをどこへ配分するかが重要になる。
体を急速に大きくする。頻繁に泳ぐ。大量の卵を何度も作る。こうした活動には大きなエネルギーが必要だ。一方、成長を遅くし、活動量を抑え、繁殖まで時間をかければ、少ない食物でも生存できる可能性が高まる。
そのため、一部の深海生物に見られる遅い成長や低い代謝は、単なる「鈍さ」ではなく、食物供給の少ない環境に適応した生活戦略として理解できる。
冷たい水も成長速度に影響する
深海の大部分は低温である。温度は生物の代謝や酵素反応に大きく影響するため、低温環境では多くの生物で代謝速度が低くなる傾向がある。
代謝が低ければ、同じ時間に消費するエネルギーも少なくて済む。その代わり、組織を作り、体を大きくし、生殖細胞を準備する速度も遅くなる場合がある。
低温だけですべてを説明できるわけではない。同じように冷たい場所でも、食物供給や酸素濃度、捕食圧、種の進化的背景によって生活史は異なる。それでも「低温と限られた食物」という組み合わせは、深海生物のゆっくりした成長を説明する重要な要因の一つである。
年齢はどうやって調べるのか
深海生物の成長が遅いと判断するためには、そもそもその生物の年齢を知る必要がある。しかし、深海生物に「何歳ですか」と尋ねることはできない。
魚類では、耳石と呼ばれる硬い組織に形成される成長の記録を調べる方法が使われる。貝類などでも、殻や硬組織に残された成長線が年齢推定の手掛かりになる場合がある。
サンゴや海綿などでは、骨格の成長記録や放射性同位体を利用した年代推定が使われることもある。こうした研究から、深海には非常に長い時間をかけて成長する生物が存在することが分かっている。
ただし、成長線が必ず一年ごとに形成されるとは限らない。深海では季節変化が地上ほど明瞭でない場所もあり、成長記録の解釈には検証が必要になる。
したがって、深海生物の寿命について示される値には、直接観察されたものだけでなく、複数の方法から推定されたものも含まれる。特に極端に長い寿命が報告される生物については、「推定年齢」と「実際にその期間飼育して確認した寿命」を区別して考える必要がある。
繁殖にも長い準備が必要になる
成長が遅ければ、成熟までの時間も長くなることがある。
卵や精子を作るにはエネルギーが必要だ。食物がいつ大量に手に入るか分からない環境では、日々得られるエネルギーを少しずつ蓄え、十分な条件が整ってから繁殖する生物がいても不思議ではない。
さらに深海には、相手を見つけること自体が難しい環境もある。
生物の密度が低ければ、広い暗闇の中で同種の個体と遭遇する機会は限られる。そこで、化学物質などによって相手を探したり、雌雄が出会った機会を確実に利用する特殊な繁殖戦略を発達させたりした種もいる。
ただし、「深海では相手が少ないから繁殖が遅い」とすべての種について説明することはできない。集団を作る生物もいれば、一つの場所に多数集まる種もいる。繁殖速度は生息環境と生活史によって大きく異なる。
深海にも季節がある
太陽光のない深海では、昼も夜も季節も存在しないように思える。
しかし、実際には表層の変化が深海まで伝わることがある。
植物プランクトンが大量に増える時期には、その一部が粒子となって海底方向へ沈む。こうした有機物の供給には季節的な変化が生じることがあり、深海生物の摂食や繁殖と関係する場合がある。
また、中層では多くの生物が一日の周期に合わせて上下移動する。深海に届く食物や捕食者の活動も、こうした海洋全体のリズムの影響を受ける可能性がある。
つまり、光が見えない場所だからといって、外界の時間情報から完全に切り離されているわけではない。
一方で、どの深海生物がどのような体内時計を持ち、それを何によって調整しているのかについては、まだ十分に分かっていない種が多い。深海生物を自然状態のまま長期間観察すること自体が難しいためである。
「時間をゆっくり感じている」とは限らない
ここで注意したいのが、「成長が遅い」と「時間をゆっくり感じている」を混同しないことである。
科学的に確認できるのは、代謝速度、成長速度、活動周期、成熟年齢、繁殖周期といった測定可能な現象だ。
深海生物が人間とは異なる主観的な時間感覚を持っている可能性については、現在の研究から簡単に判断することはできない。神経系や感覚器官が異なれば情報処理の速度にも違いはあり得るが、それを人間の「一日が長く感じる」といった感覚と直接比較することは難しい。
深海の「ゆっくりした時間」は、生物学的には比喩として扱う方が適切だろう。
すべての深海がゆっくりしているわけではない
深海生物の生活史を考えるうえで重要な例外が、熱水噴出域などである。
熱水噴出域では、地下から供給される化学物質を利用する微生物が一次生産を支え、それを基盤とした生態系が形成される。場所によっては高い生物量が見られ、周囲の通常の深海底とはエネルギー環境が大きく異なる。
しかも熱水活動は永遠には続かない。噴出場所が変化したり、活動が弱まったりするため、そこで暮らす生物には限られた期間内に成長し、繁殖し、新しい生息地へ広がる能力が求められる場合がある。
鯨など大型動物の死骸が海底に沈んだ「鯨骨生物群集」のように、突然大量の資源が現れる場所もある。
このため、深海を一様な「変化のない世界」とみなすことはできない。
深海の時間を決めているもの
深海生物の暮らしを遅くしているのは、暗闇そのものではない。
低温、食物供給、酸素、捕食、生息密度、繁殖相手との遭遇確率、そして生息地がどれほど長く存続するか。こうした条件が組み合わさり、それぞれの種の成長速度や寿命、繁殖周期を形作っている。
安定した環境で少量の食物を利用する生物にとっては、急いで成長するより、エネルギーを節約しながら長期間生きる戦略が有効なことがある。一方、短期間しか存在しない資源に依存する生物には、別の時間戦略が必要になる。
私たちが深海映像を見るのは、せいぜい数時間から数日のことが多い。しかし、そこに映る一匹の生物の生活史は、はるかに長い時間尺度で進んでいるかもしれない。
深海の神秘は、時間が止まっていることではない。
人間が観察しやすい時間尺度と、深海生物が生きている時間尺度が大きく異なること。そのずれこそが、深海の生命を理解する難しさであり、同時に面白さでもある。