深海生物図鑑

深海クラゲはどんな水中の暮らしをしているのか

深海の映像に、半透明の傘をゆっくり脈打たせながら漂うクラゲが現れることがある。強く泳いでいるようには見えないのに、暗い水中で静かに姿勢を変え、ときには触手を大きく広げる。その姿は幻想的だが、深海でのクラゲの生活は単なる「漂流」ではない。

深海は暗く、冷たく、餌の密度も低い。しかも広い水中には、身を隠せる岩陰や海藻がほとんどない場所もある。クラゲの柔らかな体やゆっくりした動きは、こうした環境のなかで生きるための一つの方法と考えられている。

ただし、「深海クラゲ」という単一の生活様式があるわけではない。種類によって泳ぐ深さも、捕食方法も、発光能力も異なる。映像から分かることが増えてきた一方、深海で一生をどのように過ごしているのか詳細が分からない種も少なくない。

水の中そのものが生活空間になる

人間から見ると、クラゲの体は頼りなく見える。筋肉質の魚と比べれば、体の大部分は水分を含む組織でできている。しかし、水中で生活するうえでは、それが必ずしも弱点になるとは限らない。

水と密度の近い体は、大きな骨格や重い組織を支える必要が少ない。傘を収縮させれば泳ぐこともできるが、常に高速で移動し続ける必要はない。水流を利用しながら漂い、必要に応じて泳ぐことができる。

これは、餌が豊富とは限らない深海では重要な特徴である。活発に泳げば、それだけエネルギーを消費する。クラゲ類の体のつくりが、深海での省エネルギーな生活にどの程度有利なのかは種類ごとに異なるものの、少ない組織量で比較的大きな体積を持てることは、餌との遭遇という点でも意味を持つ可能性がある。

大きな体は、必ずしも大量の筋肉を意味しない。水を多く含む組織を広げることで、触手や口腕を広い範囲に配置できるからだ。

暗闇では「探し回る」以外の捕食方法がある

深海では、獲物を探して広範囲を高速で泳ぎ回ることだけが捕食方法ではない。

多くのクラゲは、触手や口腕にある刺胞を利用して小型動物を捕らえる。水中で触手を伸ばしていれば、自分から獲物を追跡しなくても、接触した動物を捕らえられる可能性がある。

深海に生息するクラゲのなかには、非常に長い触手を持つものもいれば、傘の周囲や口腕を広げて待ち伏せするような姿勢をとるものもいる。

ただし、映像で触手を広げているからといって、その瞬間に「狩りをしている」と断定できるとは限らない。姿勢維持、移動、感覚、捕食など複数の機能が関係している場合があり、行動の意味には未解明な部分も残る。

深海クラゲの食性については、胃内容物の調査、捕食の直接観察、飼育実験などから情報が得られる。しかし、壊れやすいクラゲを自然な状態のまま回収することは難しく、種類によって研究量には大きな差がある。

光のない世界で、自分が光る

深海のクラゲを語るうえで、生物発光は重要な現象である。

深海性のクラゲを含む多くの海洋生物には、自ら光を作り出す能力が知られている。クラゲの場合、傘の縁や体の一部が刺激によって発光する例がある。

しかし、「深海クラゲは暗いから照明として光っている」と考えるのは単純すぎる。生物発光には、捕食、防御、仲間との情報伝達など複数の機能が考えられており、実際の役割は種によって異なる。

特に興味深い例として知られるのが、アトラ属など一部のクラゲで見られる発光反応である。刺激を受けた際、傘の周囲に光が走るような発光を示すことがある。このような発光については、攻撃者を驚かせる、あるいは別の捕食者を呼び寄せて自分を襲っている相手に圧力をかける、といった防御機能が提案されている。

後者はしばしば「泥棒警報」のような仕組みにたとえられる。ただし、すべての深海クラゲの発光が同じ目的を持つわけではない。

赤や黒っぽい体にも意味がある

深海のクラゲには、無色透明だけでなく、赤褐色や暗い色を帯びたものもいる。

太陽光は海中を進むにつれて吸収され、とくに赤い波長は比較的浅いところで弱くなる。そのため、自然光がほとんど届かない深さでは、赤い体色は目立ちにくくなることがある。

透明になることも、暗い色になることも、水中で発見されにくくする方向に働きうる。

一方、生物発光の青緑色の光が多い環境では、体内に入った光を遮る色素が別の意味を持つ可能性もある。捕食した発光生物が消化管の内部で光れば、自分の位置を周囲に知らせてしまう可能性があるからだ。

ただし、あるクラゲの体色が特定の機能だけを目的として進化した、と個別に断定するには、その種についての生態学的な証拠が必要である。

深海クラゲは、ずっと同じ深さにいるのか

「深海生物」という名前から、海底近くで一生を過ごしている姿を想像しやすい。しかしクラゲの多くは海底ではなく、水中を生活場所とする浮遊生物である。

さらに、海洋生物の一部は一日の間にも深さを変える。夜間に浅い層へ上がり、昼間に深い層へ戻る「日周鉛直移動」は、動物プランクトンや魚類など広い範囲で知られている。

クラゲやクシクラゲなどのゼラチン質動物でも鉛直移動が観察される例がある。ただし、すべての深海性クラゲが毎日同じように移動するわけではない。

種類、成長段階、餌、水温、酸素濃度、水塊の構造などによって分布深度は変わりうる。そのため、一度ROVで水深1000メートル付近に撮影されたという事実だけから、その種が常にその深さで生活しているとは判断できない。

クラゲの生活を調べること自体が難しい

深海クラゲの研究で大きな問題となるのが、その柔らかさである。

魚や甲殻類なら網で採集できる場合でも、ゼラチン質の動物は網の中で傷ついたり、形を失ったりすることがある。過去の深海調査では、網に残った断片から存在が知られるだけだった生物もいた。

この状況を大きく変えたのが、有人潜水船やROVなどによる直接観察である。

水中カメラを使えば、クラゲを捕まえる前に、自然に近い姿勢や泳ぎ方を記録できる。触手をどのように配置するのか、どの方向へ泳ぐのか、周囲にどのような生物がいるのかといった情報も得られる。

一方で、映像観察にも限界はある。

カメラの照明は本来暗い深海には存在しない強い光であり、潜水機やROVそのものが水流や音を発生させる。その刺激によってクラゲの行動が変化する可能性は排除できない。

さらに、映像だけでは種を確実に同定できない場合もある。外見の似た種を区別するには、標本の形態や遺伝情報が必要になることがあるからだ。

一匹のクラゲを見ても、一生はまだ見えない

深海映像には、ときに極めて珍しいクラゲが映る。そうした発見は重要だが、一度撮影された映像から分かることには限界がある。

たとえば、何を食べるのか、どのくらい生きるのか、どこで繁殖するのか、どの深さで幼生期を過ごすのか、といった情報を知るには長期間の観察が必要になる。

クラゲ類には、浮遊するクラゲ型だけでなく、種類によっては海底などに付着するポリプ型の段階を持つ生活史がある。一方、生活史の形はクラゲ類全体で一様ではない。

深海種では、卵から成体までの生活史が十分に確認されていないものもある。その場合、「この場所で繁殖している」「この深さで一生を過ごす」といった説明は推定にとどめる必要がある。

深海で一匹の成体を発見することと、その種の生活圏全体を理解することは別の問題なのである。

漂うことは、何もしないことではない

深海クラゲの暮らしを、人間の感覚で「ただ漂っている」と表現すると、その生態の重要な部分を見落としてしまう。

ゆっくり泳ぐ。触手を広げる。水流に乗る。光を放つ。透明になる。暗い色をまとう。

それぞれは、光が乏しく、餌がまばらで、広大な水中空間を生きるうえで意味を持ちうる特徴である。

一方で、深海クラゲについて私たちが見ているのは、その生活の断片にすぎない。探査機が数十分観察した一匹のクラゲが、その日の残りの時間をどこで過ごしたのかさえ分からないことは珍しくない。

暗い海を静かに漂うクラゲは、何もしていないのではない。

むしろ、ほとんど何もないように見える水中で、できるだけ少ないエネルギーを使いながら、餌と出会い、捕食者を避け、次の世代を残している。その具体的な方法を一つずつ明らかにしていくことが、深海クラゲ研究の現在地なのである。