深海は、ただ「深い海」ではない。太陽光がほとんど届かず、水圧は大きく、場所によっては海底の起伏も激しい。人間が直接そこへ行くことは簡単ではなく、生物を見つけても、暗闇の中を一瞬通り過ぎただけなら、その暮らしまで理解することはできない。
では私たちは、どうやって深海にいる生物や海底の環境を知っているのだろうか。
深海探査では、一つの万能な方法が使われているわけではない。人が乗る潜水船、船上から操縦する無人探査機、自律して航行するロボット、海底に置かれるカメラ、海水に残されたDNAなど、それぞれ異なる「目」が組み合わされている。
深海の姿は、そうした断片的な観測を重ねることで、少しずつ見えてくる。
人間自身が深海へ潜る「有人潜水船」
深海探査という言葉から最も想像しやすいのが、人間が乗り込む有人潜水船だろう。
深い海では、水深が増すほど周囲から受ける圧力が大きくなる。そのため、人が乗る区画は強い水圧に耐えられる構造にしなければならない。内部に人間が活動できる環境を維持しながら、照明、カメラ、観察窓、採取装置などを使って海底を調べる。
有人潜水船の大きな特徴は、研究者自身が現場を見ながら判断できることにある。
例えば海底で見慣れない生物を発見したとき、カメラの向きを変えたり、近づいたり、周囲の地形との関係を確認したりできる。岩石や生物を採取できる機体なら、その場で「何を持ち帰るべきか」を判断することも可能だ。
これは単純なようで重要である。
深海では、あらかじめ何が現れるのか分からない場合が多い。予定された観測だけでなく、予想外のものを見つけたときに、人間がその場で調査方針を変えられることには大きな価値がある。
一方で、人が乗る以上、安全確保の条件は厳しい。潜航できる時間や深さ、運用できる場所にも制約がある。そのため、現在の深海研究は有人潜水船だけで行われているわけではない。
船の上から深海を歩き回るROV
深海探査で広く利用されている方法の一つが、ROVである。
ROVは「Remotely Operated Vehicle」の略で、一般には遠隔操作型無人探査機と呼ばれる。海上の船などとケーブルでつながり、操縦者が映像を見ながら機体を動かす。
人間が乗らないため、有人潜水船とは違った運用ができる。
機体には高感度カメラや照明を搭載でき、ロボットアームを使って岩石、生物、堆積物などを採取できるものもある。温度や塩分、溶存酸素などを測定するセンサーを積むことも可能だ。
研究船のモニターには、深海から送られてくる映像がリアルタイムで映し出される。
暗い海底を進んでいると、突然、岩場に生物が密集している場所が現れるかもしれない。研究者はその映像を見て、「少し戻る」「もっと接近する」「ここで試料を採る」と判断できる。
つまりROVは、深海に研究者の「目」と「手」を送り込む装置ともいえる。
ただし、ケーブルで船とつながっていることは長所であると同時に制約でもある。長いケーブルの取り扱いには設備が必要で、海底地形や海況によって運用が難しくなることもある。
それでも、人間を深海へ直接送り込まずに精密な観察や採取ができるため、深海研究にとって非常に重要な手段である。
自分で海中を進むAUV
ROVとは異なり、母船から伸びるケーブルにつながれず、自律的に航行する探査機もある。
AUV、「Autonomous Underwater Vehicle」と呼ばれる装置である。
AUVはあらかじめ設定された計画などに従い、海中を移動しながら観測を行う。機体の位置や深度を推定しつつ、ソナー、カメラ、各種センサーを使って広い範囲を調査する。
AUVが得意とする仕事の一つが、海底の地形調査だ。
人間の目で深海底全体を見渡すことはできない。照明を使っても、見えるのは機体の周囲だけである。しかし音波を利用するソナーなら、より広い範囲の海底形状を調べられる。
まずAUVなどで広域を調べ、興味深い地形を発見する。その後、ROVや有人潜水船で接近して詳しく観察する。
このように複数の探査方法を組み合わせれば、「広く探す」ことと「細かく見る」ことを分担できる。
AUVは深海を自由自在に理解して動き回るロボットというわけではない。航行や通信には技術的な制約があり、深海では水中通信にも限界がある。それでも、人間が常時操縦しなくても一定範囲を調査できることは、大きな利点となっている。
海底にカメラを置き、生物が来るのを待つ
深海生物を研究するなら、探査機で追いかければよいとは限らない。
むしろ、こちらが動かずに待ったほうが見えるものもある。
そのため使われるのが、海底に設置するカメラや観測装置である。
装置を海底へ降ろし、一定時間映像を記録する。餌を取り付け、生物を引き寄せて撮影する方式もある。
こうした方法では、人間や大きな探査機がその場にいなくても観察を続けられる。探査機が通過した数分間には現れなかった生物が、数時間後に姿を見せる可能性もある。
ただし、映像に映ったものをそのまま「普段の深海の姿」と考えることには注意が必要である。
特に餌を使えば、餌に反応する生物が集まりやすくなる。その映像は「その場所にどのような生物が来るのか」を知る手掛かりにはなるが、周囲に存在する生物全体をそのまま表しているとは限らない。
観測方法そのものが、見える世界を変えるのである。
音で暗闇を見る
深海探査では、光だけでなく音も重要な観測手段になる。
水中では、音波を発してその反射を測ることで、海底の形や水中の物体などを調べることができる。
この仕組みを利用するのがソナーである。
深海には光が届かないため、普通のカメラで撮影するには照明が必要になる。しかし照明で見える範囲には限界がある。
そこで、まず音波によって海底を広く調べる。
海山、谷、急斜面などの形が分かれば、その中から詳しく調べたい場所を選べる。熱水活動などに関係する地形を探す場合にも、海底地形の情報は重要な手掛かりになる。
さらに細かく調べる段階でカメラや採取装置を使う。
私たちが目にする美しい深海映像の背後には、こうした「映像になる前の探査」が存在している。
海水そのものから生物を探す環境DNA
さらに、深海生物を直接見なくても、その存在を調べられる方法がある。
環境DNA、いわゆるeDNAを利用する方法である。
生物は、体表の細胞、粘液、排泄物などに由来するDNAを周囲の環境へ残す。海水を採取してそこに含まれるDNAを分析すれば、その場所にどのような生物が存在した可能性があるのかを調べられる。
これは深海研究と非常に相性のよい方法である。
深海の生物は密度が低い場合もあり、カメラを向けたからといって必ず現れるわけではない。非常に広い海の中で、限られた探査時間に偶然遭遇できる生物は一部にすぎない。
環境DNAなら、カメラに映らなかった生物の存在を示す手掛かりが得られる可能性がある。
ただし、DNAが検出されたからといって、その生物が採水地点の目の前を泳いでいたと断定できるわけではない。
海水は移動する。DNAも分解されながら水中を運ばれる可能性がある。また、どの生物のDNAなのかを判定するには、比較できる遺伝情報が必要になる。
したがって環境DNAは「見えない生物を完全に特定する魔法の方法」ではない。
カメラ映像、採集標本、海流などの情報と組み合わせて解釈する必要がある。
捕まえることで初めて分かることもある
映像技術が発達しても、標本採取の重要性はなくならない。
カメラに映った生物を見ただけでは、種類を確実に判定できないことがあるからだ。
似た姿をした別種かもしれない。外見からは確認できない内部構造が分類の手掛かりになることもある。遺伝子を調べるには組織試料が必要になる場合もある。
そこでROVのロボットアーム、採集器、網などを使って生物を採取する。
ただし、深海生物の採取には独特の難しさがある。
深海から海面まで引き上げれば、水圧や温度などの環境は大きく変化する。柔らかな体を持つ生物は、採取中に損傷することもある。そのため、地上へ持ち帰った標本だけを見れば、生きているときの姿と異なって見える可能性がある。
だからこそ、生きた状態の映像と標本の両方が重要になる。
「現場でどう見えたか」と「体がどうできているか」は、別々の方法で確かめなければならない。
深海探査では、観察すること自体が環境を変える
深海映像を見ると、そこに映る生物を自然な状態のまま観察しているように感じる。
しかし実際には、探査機も完全な透明人間ではない。
強い照明を当てれば、それに反応する生物がいる可能性がある。機体が近づけば、水流や振動が生じる。ROVが海底に接近すれば、堆積物を巻き上げる場合もある。
生物が逃げたとしても、それが普段の移動なのか、探査機への反応なのかを映像だけから判断できないこともある。
これは深海研究の重要な難しさである。
研究者は「何が映ったか」だけでなく、「どのような方法で観測したのか」も考慮しなければならない。
一度潜っただけでは、深海の暮らしは分からない
さらに大きな問題が時間である。
深海探査で撮影される映像は、深海で続いている生命活動のほんの一場面にすぎない。
ある場所を昼間に数時間観察して生物がいなかったとしても、夜には現れるかもしれない。季節によって変化する可能性もある。数年単位で環境が変わる場所もある。
一回の潜航で見た光景を、その場所の「いつもの姿」とみなすことはできない。
同じ場所を繰り返し観測する長期観測が重要なのはそのためだ。
深海にも時間が流れている。
生物は成長し、移動し、食べ、捕食され、繁殖する。海底では堆積物が動き、熱水活動などによって環境そのものが変化する場所もある。
静止した未知の世界ではなく、変化し続ける生態系なのである。
深海の「未発見」は、存在しないという意味ではない
深海研究では、「まだ見つかっていない」という言葉を慎重に扱う必要がある。
地球の海は広大で、深海を直接観察できた範囲は限られている。特定の生物が一度も撮影されていないからといって、その海域に絶対に存在しないとは限らない。
逆に、一度だけ映った生物から、その種類の分布や生態を詳しく断定することもできない。
未知の生物が今後発見される可能性は十分にある。しかし、「何でもいるはずだ」と考えてよいわけでもない。
科学では、確認されたものと、まだ可能性しかないものを分ける。
深海の神秘は、その区別を曖昧にすることで生まれるのではない。
むしろ、わずかな映像、一匹の標本、一本のDNA配列、海底を走査した音波の記録から、「ここまでは分かった」「ここから先はまだ分からない」と境界線を引くところにある。
暗闇の世界を、違う方法で少しずつ見る
有人潜水船は、人間を深海へ運ぶ。
ROVは、海面から操作できる目と手になる。
AUVは、広い海底を自律的に調べる。
ソナーは、光の届かない先の地形を音で描き出す。
カメラは、生きている生物の行動を記録する。
採集された標本は、その体の構造や遺伝情報を調べる手掛かりになる。
そして環境DNAは、姿を見ることのできなかった生物の痕跡を海水から探す。
どれか一つだけで、深海の全貌が分かるわけではない。
異なる方法がそれぞれ異なる断片を集め、その断片が重なったとき、暗闇の中に少しずつ生態系の輪郭が現れてくる。
それでも、その外側にはまだ広大な未知が残っている。
深海探査とは、暗い海の底へ行くことだけではない。
**見えない世界について、何をどうすれば確かめられるのかを考え続けることそのものが、深海探査なのである。**